昭和42年06月30日 朝の御理解



 今日は6月30日、一年間をほとんど半分を過ごさして頂きました。そのお粗末ご無礼の事を神様にお詫びをする式、それをあの大祓式とこう申します。私といたしましては、この大祓式というのが、どういうような本当の意味での意義を持っておるのか分かりませんし、またお祭りを奉仕するのも初めての事でございますから、神様のおかげを頂かなければできる事ではございません。
 またあの真心で仕えればよいと。というふうに申しましてもやはり、そこに一つの焦点がなからなければなりません。真心で何を願い、願うかということ。そこで、先日から祈りよる感覚があっても、お話合いをいたしましたりいたしまして、悪疫予防交通安全の大祈願祭。やはりそういうお願いをするわけでございますが、そのお願いをする前に、やはり祓い清めるという、祓い清めのおかげをこちら自体が受けなければならないと思う。ということを私、思いましてから。
 その事を神様にお願いさして頂いておりましたらあの、繰り返し繰り返し頂きます事がですね。こういう歌を頂きました。あのちょっと書いとります。霊幸はう、神の御徳に清められ、今は穢れの雲霧もなしと言う。たまちはうと、たまちは御霊の霊ですね。御霊の幸はう、という意味でしょう。幸は幸せ。霊ちはう、神のみのりの、という神のお徳と書いてある。に清められ、今は穢れの雲霧もなしと。こういうおかげを神様がまあ下さろうとするわけでございます。ね。
 ですから、今日のお祓い式に臨むとか、お祓い式を頂くということは、そういう私どもは何にも分かりませんですけれども、神様のいわゆるお徳で、お粗末ご無礼もさることながら、そういう難儀な事をね。例えば、悪疫の事やらまたは交通安全の事やら、そういう事を御守護下さり、お払い下さる。やっぱ災難ここにやって来ておっても、それを払うて下さるということになります。その為にどうでもその、そういう一つの他力的な働きと同時に、金光様のご信心ではどこまでも、その自力の、いうならば働き。
 不浄穢れは己が心で払うこともあれば、犯すこともあると仰るのでございますから。自分自身の心を清めるということは、これはお祓いを受けたからと言うてできる事じゃない。これは自分自身が清めなければならない。それはなるほど、お祓いを受けるということを月次祭のたんびんに、あの、お祓いを皆さん受けられますよね。確かにあの、紙垂のさやぎのさやさやにと、こう、いわゆる祝詞詞がありますように、あの紙垂のさやぎに、こう打ち清められ祓われますと、確かにあの気分がいいですね。
 清められたような気がいたします。その清められたような気がするということが、大体はおかげなんです。けれども自分自身が本当に清まってです、ほんとに清々しい。自分自身がほんとに改まってです、気持ちが良い。というこの、二つのやはり、そういう働きがですね、なからなければならないということです。ですから、やはり信心なんか全然分からない人には、今日は合楽の金光様で交通安全の、悪疫予防の祈願祭があるなら、ち言うて、それではらえつものを出しときゃ、はらえつものを祓うてもらうと。
 お参りすりゃお払いしてもらうげな、ということだけで、自分というものには全然焦点を置かなくても、やはりおかげは受けるということは分かりますけれども、本当のおかげというのは、自分自身が清まらなければならない。自分自身が改まって、いうなら汚れ果てておったものが綺麗に洗われた時に、やはりさっぱりする、とこう言うでしょう。そのさっぱりする心というのは、自分の心からのものであると同時に、んなら、その神様から今、歌の御教えを読ませて頂きましたようにです。
 神様のお徳で払うて下さる。私どもが何にもできなくても、神様のお徳で払われる。払い清めて頂くところにです、ね、その気持ちがあれば、雲霧の形もないように払うて頂けれるんだ。とこういうことでございます。ですからその事は、これはそれをそうと思い、これに思い信ずる以外にはないのです。私どもが心から、いわゆるわが心からと仰るその、わが心を清め、わが心を改まって、ほんとに清々しい有り難いと言うのは、自分にも分かるのでございますけれども、神様がその御守護を下さる。
 神様が特別の祓いお徳によって、祓い清めて下さるというのは、それを信ずるより他にありません。ね。それを思い込む他にありません。人間の知恵や力では、どうにもできない。神様のおかげをやっぱり、頂かなければできんのだ。と言うその思い込みを持つより他にはないのです。私ども小さい時から、大祓ということについては、いろいろ頂いてまいりましたが、先日、佐田さんの所の車が、福岡にお出でられよってから、その車に追突いたしましたのですね。
 その時に、あちらの乗っておったご主人に奥さんが実感された事はですね。お取り払いを頂いて有り難い、ということ以外にはなかった、とこう言うておられます。お話を頂くと本当にそうだろうと思います。またほんとに不思議なおかげを受けておられます。それでその事によってですね、例えば、お金がかかるというなら、五十万は百万かかっても、大きければ大きいほどお取り払いは大きいと思いました。
 ということを言うております。椛目の私達の場合、ずいぶん交通事故なんかもあったんですけれどもほとんど全部と言うていいぐらいに、他所から追突されたりというのが多いのですけれども私どもの場合は、佐田さんの言葉ですね。私どもの場合は私どもが追突した。だから他の椛目の方達が大変な災難を受けられたんですけれども、それは追突された方だから、例えていうならば、ケガすりゃ病院代もむこからもらう。
 車が崩れれば、その修繕代は向こうからもらう。というようなあり方であったけれども、私の場合は特別のおかげを頂いて、ね、私が払わなければならない方です。だから、それだけ余分に他の方達よりもお取り払いを頂いた。とこう言うのです。私はそれを聞かせて頂いて、ほんとにそうだな、そこまでの思い込みができれる、やはり信心を受けなければいけないな、とこう私思うのです。
 金光様の信心の本当のお取祓いというのはそういう、私は信心が分かることだと思うですね。実際は。これは私が修行中の時分に子供、家族子供を連れましてから、福岡の教会に大祓式にお参りさしてもらいました。修行中と言うてもまだ商売は、もうどうやらこうやらさして頂いておるという時分、店の方が4人おりました。ほして皆お参りし、一緒に同道してお参りをさして頂いて、帰らして頂きましたら、確かに鍵をかけておったのが裏口の木戸がこう開いとりますもんで、あら、どうしたこっちゃろかと思て入ったところがもう、家ん中はいっぱいその散らかっとります。
 泥棒が入ってるわけなんですね。そして見てみたところがですね。もう子供の物店の方達の物、例えば店の方達の場合なんかは、上着が掛けてあるのを上着だけを持って行っとるのがある。ある人はズボンだけを持って行っとるのがある。もうとにかく一点ずつみんな持って行ってるんですね。これは泥棒じゃないな神様だな。と私は思たですねその時に。成程入ったそれは神様でしょうけ、あの人間の泥棒でしょうけれども。
 その人間を通してから、神様はもうお取り払いを頂いたという気ですからもう、なんかそれこそ、はあ、これはもうこれからおかげを頂くぞといったような気がいたしました。清められてお取り払いを頂いたのですから、これからおかげを頂くぞ、といったような、もうとにかくあのこれは、大祓にお参りしとる間にこげな事なって、といったような気持ちでそれこそ佐田さんじゃないけども、さらさらございませんでした。
 これなんかは日頃の信心のおかげだと思うんです。また真実お取り払いでございますもんね。と思わなければおられないような、いわゆる捉え方でした。これは私が子供の時から聞いておりますんですけれども、私の椛目の時代に隣に、もう私ども大坪一家よりも熱心に信心、今の楽長の両親です。田中さん所の両親ちゅうのは、そりゃもうほんとに熱心な信心しておりました。
 そういうあの、やっぱりそのなんちゅうんですかね、椛目にこの、何てあれは、疫痢じゃない、赤痢でしたかねおばあちゃん。赤痢が流行った時、みんな(  ?  )あったですね。もうあの、宮崎さん方あの一家なんかは、もちろん信心もおありでなかったが、もう皆家族中、(  ?  )なったそうですね。もうそりゃ椛目全体たいへんな事でした。ところがですね、私の方と隣だけは、誰もその病気の気もございませんでした。そん時にあの、隣の叔母がですね、お夢を頂いておったのが。
 私の方と隣の、をその、装束を着けた、まあ神様じゃろちゅうわけですね。装束を着けた方達が皆でですね、手をこんなにして繋ぎ合ってから、丁度こう、あの、輪を作ってですね、飛び回りしておられるところをお夢に頂いたと言う。というようなお知らせを頂いた事を私は子供心に覚えとりますですね。やはりそういうような、このお守りを受けておるということをですね、私は思いました。
 お互い信心さして頂く、例えばんなら、お払いならお払いを受けるということは、そういう神様の特別なお徳によって、あのお取り、お払いを頂くんだということをですね、私どもが信ずる以外にはないのですよ。また気持ちからでもそれを、そういうふうに思うというだけでも、やはり、いうなら効果的というならば、効果がある事を私は信じます。けれども本当の事を言うと、自分自身の心が払い清められなければ、私は金光様のご信心ぶりではない。ね。
 今日はそういう、内外共のお払いを受けさして頂く。ここでほんとに、本気で信心さして頂いておる方は、大祓式を期としてです、自分自身の心の中を払い清めて頂く為に、垢や汚れを落とさして頂くところの清まりと同時に、神様は払うて下さる。外部から払うて下さる、お徳によって払うて下さるその払いの神風とでも申しましょうか、その神風に浴しさして頂いて、今日の大祓式を頂きたいと思いますですね。
   どうぞ。